むつ商工会議所 mutsucci web news 

 むつ市の沿革
−古代〜明治−
 むつ・下北地方の歴史は古く、発見された遺跡の出土品等から推定6,000年以上も前から人が住んでいたことが明らかにされ、古くは、糠部郡宇曾利郷(ぬかのぶぐんうそりごう)と呼ばれていました。
 江戸時代に南部藩の統治を受けてから、むつ市は「田名部通り」として、明治に至るまで、良質なヒバ材や海外貿易品ともなった海鼠などの海産物、さらには鉱物資源にも恵まれ、代官所が設置されていることから見ても藩にとって重要な地域でした。
 明治維新に際し、最後まで幕府側についた会津藩が薩長を中心とする官軍から、朝敵・逆賊の汚名を着せられて旧領23万石を没収され、この地に挙藩流罪と同様、藩士と家族1万8千人余が移り住み、その直後の廃藩置県で藩主は東京へ移ったものの多くの人材がそのまま住みつき、政治・経済・文化に多大な功績を残して現在の礎ともなり、より一層下北地方の中心地としての役割を担うようになりました。

−明治〜昭和− 「むつ市」誕生
 明治22年、市町村制施行により田名部村と大湊村が誕生しましたが、その後、田名部村は下北郡内の政治・経済・交通の中心地として着実な成長を遂げ、明治32年には町制を施行、一方の大湊村は、明治35年の旧海軍水雷団設置以来軍港として栄え、昭和3年には町制を施行しました。
 各々異なった発展経路を辿った両町でしたが、昭和34年9月、下北の中核都市として人口10万人の田園工業都市建設を目指して合併し、県下8番目の市「大湊田名部市」が誕生。翌年8月には、全国でも初めてとなったひらがなの市名「むつ市」に改称して今日に至っています。
 ●むつ市観光案内〜ミニ知識〜むつ市の誕生

−高度成長時代〜現在−
 昭和30年代、我が国経済が重化学工業を中心とした高度経済成長への道を歩み、むつ市もその発展を、埋蔵する地下資源(鉱産物)の製品化を目指す「むつ製鉄」事業に託しましたが、鉄鋼業界の構造不況などによって断念せざるを得なくなり、以来今日に至るまで、工業化の立ち遅れは否めないものの、地元企業を中心に就業機会の拡大と所得水準の向上を願い、産業・交通・福祉・環境など総合的な都市基盤の整備を推進してきました。
 この間、大湊港の重要港湾への昇格、むつはまなすラインや下北半島一周道路の国道(279号、338号)への昇格、企業誘致などが実現し、我が国唯一の原子力船となった「むつ」は原子力船としての任務を終え、新たに世界最大級の海洋地球研究船「みらい」として生まれ変わり平成9年秋に当市の母港へ回航され、これに伴う海洋科学技術センターむつ事業所や海洋調査研究室の設置など、海洋科学研究都市へと変貌を遂げつつあります。
 さらに、長年の懸案であった高速交通体系の整備についても、下北半島縦貫道路が地域高規格道路としての指定を受けて整備工事が進み、自然環境に恵まれ、日本三大霊場の恐山をはじめとする数々の風光明媚な観光地を擁する下北半島にとっては、その早期完成が大いに期待されているところです。
 また、国際交流の積極的な推進の一つとして、姉妹都市である米国ワシントン州ポートエンジェルス市との中学生ジュニア大使による交流なども行われるようになりました。
 平成13年3月には、幹線道路、バイパスなど道路網の整備が進むなか、むつ市〜大畑町を結ぶ本州最北の鉄路「下北交通大畑線」が廃止となりましたが、交通・経済の要所であることには変わりなく、これからも下北地方の中核都市としての役割を担い、更なる発展を遂げるよう努力しています。
 平成17年3月14日、むつ市、川内町、大畑町、脇野沢村が合併し、新「むつ市」が誕生しました。面積は県内市町村最大の863.78ku。   
 
平成の大合併では五戸町、十和田市、つがる市に続く県内4番目の合併となりました。

JR下北駅

JR下北駅新駅舎
(平成21年1月23日供用開始)

下北駅前広場が平成21年12月1日から全面開放されました(むつ市ホームページ)

JR大湊駅

JR大湊駅

JR大湊線機関車

釜臥山
金谷、海老川町方面
田名部駅通り
柳町通り
苫生モール
中央

大湊新町
釜臥山展望台からのむつ市

 

  ※むつ市の素顔 むつ市の概要(位置、概要、面積、気象、人口等)